今年五月、アウシュビッツへ出かけました。
一九四一年のこと、脱走事件の報復として処刑されることになった軍人の身代りを申し出たコルベ神父は餓死室で絶命。その餓死室を見たくて。神父の心境を考えていた私に現地ガイドは、彼も描かれているからと言って、収容所を生き残った画家の作品を展示するキリスト教会へ案内。教会の名はマキシミリアノ。一六才で修道士になったコルベ神父に与えられた名前です。「彼はポーランドの誇り。マキシミリアノを名のる教会は多い」とのことでした。
教会名への使用はコルベ神父への尊敬の念とともに、教会として彼の遺志を受け継ぐことの表明。そして多くあることは、教会が集団で人種差別反対・戦争反対を叫び続けていることでもあります。同じ宗教者として通じ合えるものを感じ、嬉しかったです。