【08.05.10】インタビュー 中嶋哲彦さん(犬山市教育委員、名古屋大学院教授(教育行政学)

ともに学び ともに育つ学校づくり 共同し、希望のもてる社会づくりとともに

 
犬山市教育委員であり、名古屋大学院教授(教育行政学)の中嶋哲彦さん。大学院生時代、名古屋哲学セミナーで真下真一さん(県革新懇結成時の代表世話人)から教えを受けました。名古屋大学の研究室を訪ね、お話をお聞きしました。

中嶋 哲彦さん
1955年名古屋生まれ。法学部から教育学研究科へ。現在犬山市教育委員、名古屋大学院教授(教育行政学)。

点数主義、競争主義に

全国学力テストのために、教育現場は点数主義に傾いています。しかし、点数公表を躊躇している教育委員会も多く、公表するのなら参加をやめたいという自治体もあります。保護者の方々のなかにも心配の声が上がっています。点数主義は学力についての見方をますます狭くしてしまいます。

本当の学力とは

教育基本法に定める「人格の完成」とは、知識や技能の獲得と人間としての成長が一体となっているものと思います。知性と理性を兼ね備えた人間に育つことだと思います。しかし、国の義務教育改革は、点数の高い子を「伸びる子」とみな

す一方、点数が振るわない子は「できない子」として、習熟度別授業という名で能力主義的に選別しようとするものです。
 犬山市の教育は、能力や個性の違う子どもたちが共同で学ぶ教育のあり方が人格を育てることにつながるとの考えに立って、教師の適切な指導と子ども同士の協力関係で学力を平等に保障しようとするものです。そのため、競争と差別をあおる全国学力テストは受け入れられないのです。
 保護者のなかには、犬山市の取り組んでいる少人数学級や学びあい学習への支持は多いと思います。それを進めていくためには、学力テストへの参加はどうなのかという論議が必要なときです。住民の主体的行動が重要です。また、犬山市の取り組みを周りから励ましていくことも大事だと考えています。

新たな国家統制につながる

2006年改正の教育基本法の17条に規定された「教育振興基本計画」は、国家が目標を設定し、地域や学校はその実現のために計画を立て実践するというものです。この仕組みは「結果重視マネジメント」といって、成果を評価検証することでプロセスを管理するものです。それが、教育振興基本計画の本質であり、学力テストはそれの重要な一部分です。
 学校評価や教育委員会評価と組み合わせて地域や学校を管理し、新たな国家統制の仕組みをつくっていこうとしています。

格差社会への同意調達

法令で徹底的にしばるというのが従来の統制手法でした。規制改革とか地方分権改革というように緩めるところは緩めるもので、目標は国が管理します。現場の裁量や自律性が拡大するように見えるかもしれませんが、根っこのところで国が定めた目標に縛られています。
 杉並区の和田中学校では、夜スペといって塾の先生を夜、招いて補習をする。成績の高い子だけが対象です。地域、親の要求だとして実現してしまいました。まさに、新自由主義的自由ですね。力のある人にとっての自由であって、みなが幸福に生きていく自由を保障するものではありません。
 これらが狙っているものは、新しい産業構造に見合うエリートの育成です。そして、今後、新自由主義的な格差社会への同意の調達が課題になるでしょう。国民の自由と平等を求める意識をどのように押さえ込むのか、そのときに教育が意味を持ちます。 
 国の学力向上政策は、国民各自の社会的地位は自分の学力ゆえの地位であることを国民に受け入れさせる仕組みとして働くでしょう。また、「君が代」強制は国民の心の自由を奪うとともに、国民の中に対立を作り出し、協力し合う関係を破壊するものだと思います。

共同し希望のもてる社会づくりを

雨宮処凛さんの「生きさせろ」のメッセージは反貧困の運動を憲法25条、26、27条の社会権保障に見出していこうとしていると思います。でも、「生きさせろ」ではなくて「競争させろ」という声も聞こえてきます。「生きさせろ」は生きる権利の保障を求めるものですが、「競争させろ」の背景には、国家の責任を免除しつつ、自由に競争させてくれというもので、すでに新自由主義に取り込まれていると思います。
 だからこそ、孤立ではなく、共同で生きていく基盤、希望が持てる社会環境を作り出しながら、教育をともに考えていくことが大事ではないでしょうか。

正論を恐れず述べること

正論を恐れず述べること
 教育学と日本国憲法に立脚した正論を恐れずに述べることが大事と思います。
 それが正論であるかぎり、政治的な立場を超えて同意を獲得し、多数派を形成する可能性があると信じています。そのためには、分かり安い言葉に置き換えて話すことはとても大事ですね。
 「教育の地方自治」という言葉は少々堅苦しく、他人事のように感じさせてしまいますが、「犬山の子どもは犬山で育てる」と言い換えれば皆さんが納得してくださいます。敵対しそうな人との距離がぐっと縮まることもあります。そうなると結構楽しくなりますね。(笑い)
 今日の公教育制度の骨格は憲法・教育基本法によって形成されているので、それらをうまく利用すればいろいろな可能性があると思っています。新教育基本法も可能な限り活用すべきです。
 犬山市が示した可能性が全国で様々な取り組みをしている人たちを励ますことになるだろうという気持ちで取り組んでいます。

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